楽水園

スタンド・バイ・ミー

スタッフの松浦です。

まだまだコロナ禍で大変ですがせめてこのブログをお読みいただく間だけでも
色んな事を忘れて日本庭園に思いをはせて頂けたらと思います。
それでは、まずは下の写真を御覧ください。

これは楽水園の「椿の間」の窓から見える「アラカシ」の木です。
大木ならではの堂々たる風格、楽水園の印象的な風景の一つです。
このアラカシ、根ばりがまた大迫力!

木って凄いですよね。とてつもないパワーを感じます。
ところで、私はこの木のそばで、ある歌を心の中でそっと口ずさむことがあります。

その曲は、ベン・Eキング・の「スタンド・バイ・ミー」、
1961年に大ヒットしたR&Bの名曲です。

1986年のアメリカ映画「スタンド・バイ・ミー」のエンディングで
この曲が流れてきた時はとても感動しました。

「スタンド・バイ・ミー」を直訳すると「私のそばにいて」。
この曲は、夫妻にかぎらず、恋人はもちろん、家族、友人、など
聴く人それぞれの「大切な人」に当てはめることができるんですよね。

では、なぜ私はこのスタンド・バイ・ミーを楽水園のアラカシのそばで口ずさむのでしょう?
それにはこんな理由があるのです。

楽水園のアラカシの木は、
家を強い日差しから守ったり風情ある風景をつくったりするために植える
「庵添えの木」なのです。
言うなれば、楽水園の建物とアラカシはいつもそばにいて
寄り添いあう伴侶のような関係なのです。

アラカシは楽水園の前身である下澤善右衛門親正の別荘時代からここに立っていました。
いろんな事があったことでしょう…
月日は流れ、下澤家別荘時代の建物は全て消え、
平成時代に新しく楽水園の茶室棟が建ちました。
アラカシは新しい伴侶に寄り添うことになったのです。

しかし、形ある物が消えようとも、「思い」は引き継がれる、それが文化です。

「椿の間」からアラカシが美しく見えるのは偶然ではありません。

楽水園の茶室棟を設計した建築家は、アラカシが「庵添えの木」であることを知っていました。
だから「椿の間」の窓を額縁としてアラカシが美しく見えるように設計したのです。

そこには間違いなく下澤善右衛門親正から引き継がれた「思い」があります。

下澤善右衛門親正は西洋化著しい明治という時代にあって
日本庭園を作り、茶道を嗜み、日本文化の再興を願ってそれを実践した人でした。

明治の下澤善右衛門親正と平成の建築家は
同じ文化を共有していたからこそ遥かに時を隔てても
繋がりあうことができたのです。

楽水園の「庵添えの木・アラカシ」が寄り添っているのは建物だけではありません。
人々が営々と培ってきた「文化」にも寄り添って立っているのです。
私たちがそれを失わない限り、アラカシはこれからもずっと
ここに立ち続けてくれることでしょう。

今日も私はアラカシにあの歌を口ずさみます…「スタンド・バイ・ミー」

追伸です。

「庵添えの木」は楽水園の仲間である、
福岡市三庭園の「松風園」にもあるんですよ。

この風景、近代数寄者ならではの華やかな美しさに溢れています。
実はこの楓、一本に見えますが二本なんです。びっくりでしょ?

あれ? でも「庵添えの木」は普通一つ……
これってまさか大切な人が二人ってこと?!

いえいえ、ご安心ください。
これはお客様を楽しませるための粋なお遊びなのです。

「え?!そうだったの!」と、意表をつくような「お・も・て・な・し」が数寄者は大好き。
真面目だけではつまりません、庭の世界も同じです。

このように、同じ「庵添えの木」でも
「楽水園」と「松風園」ではまったく趣が異なっています。
たとえ色々な決まり事があっても日本庭園には柔軟な多様性があるのです。

ということで、皆さん「楽水園」と「松風園」の「庵添えの木」を見比べに来ませんか?
お待ちしています!

あ、いけない、結局また長文になってしまいました。すみません。
次こそ頑張りますのでよろしくお願いします。ではまた!

公園案内

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