スタッフの松浦です。
皆さんご機嫌いかがですか?
コロナも一息ついて楽水園も通常営業しています。お庭の紅葉もぼちぼち色づき始めましたが、今回は楽水園の紅葉よりも一足先に真っ赤になった私の顔の話をしようと思います。
先日のことです、私は「筥崎宮」(福岡市東区)境内で、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして立ち尽くしていたのです。本当に顔から火が出るかと思うほどに…。
話はその前日にさかのぼります。
福岡市には、市営の日本庭園「楽水園」「友泉亭公園」「松風園」の3つがあり、互いに姉妹関係です。で、その一つ「松風園」のスタッフが楽水園に来園、わたしが楽水園の庭園のガイドを務めさせていただきました。
ガイドも中盤に差し掛かったところで、私達は庭の一隅にある石の柱を寝かせたようなベンチの傍にやってきました。私は長らくそれを蒙古襲来の際に博多湾で沈んだ蒙古船の「碇石・いかりいし」だと思っていました。言うまでもなく、博多はかって蒙古襲来の際の主戦場となり、多くの蒙古船が博多湾に沈み、そのときから現代まで幾つもの碇石が海底から引き上げられているのです。このような碇石は福岡県内だけでも30近く発見されていますが、すべてが文化財に指定されているわけではありません。なんせ大きく重たいので保管場所を探すのも大変だったりします。ゆえに26年前に楽水園が開園したとき文化財指定を受けていない碇石が2つほど庭のベンチ代わりに持ち込まれたのでは?と私は考えていたのです。
さて「松風園」のスタッフは言わば仲間内、そんな安心感もあって、私はつい調子に乗って石のベンチを「これは蒙古襲来のときに博多湾で沈んだ蒙古船の碇石、たぶん本物です」と説明してしまったのです。
しかしながら、きちんと裏付けをとっていないことがさすがに気になった私は翌日すぐ実物の碇石が展示されている筥崎宮へと確かめに行ったのでした。
さて、その結果はどうだったでしょう。下の二枚の写真を見てください。
右と左、全然違いますよね。
右の実物の蒙古船の碇石は木製の木枠に石を組み込めるように両端が細く、中央に縄で縛って固定するための溝があります。
一方、左の楽水園の石はほぼ真っ直ぐな四角い棒のような形で中央に溝はありません。
博多湾に沈んでいる蒙古船の碇石には小型のものには真っ直ぐなものもありますが、楽水園の石は長さが3mもあり小型とは言えません。これは単なる石のベンチであると考えるのが妥当との結論に私は至りました。つまり私はまったくの嘘の説明をしてしまったのです。
このような経緯で私は筥崎宮の碇石の前で自分に対する怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にして立ち尽くしていたのです。
当然ですが、私は日本庭園に関することはきちんと調べて慎重に裏付けをとってからガイドしています。しかし、蒙古船の碇石について子供の頃から中途半端に知識があったため知ったかぶりをして迂闊にも嘘のガイドをしてしまったのです。
そもそも日本庭園にこのようなイレギュラーな要素が存在すること自体が稀なのですが、私が軽率であったことは否めません。今回は身内である「松風園」スタッフへのガイドでしたので、こうしてここで訂正もできましたが、もし一般のお客様だったら取り返しがつきませんでした。
顔を赤くしていた私は、徐々に冷静さを取り戻し我に返ると、自分がいつの間にか謙虚さを失っていたことに気が付きました。「謙虚であるべし」私は幼い頃からいつもそう自分に言い聞かせてきました。しかし60歳を超えたいい年になって、いつの間にか慢心し自惚れていたのです。
私の亡き父はバイオリニストで、オーケストラでコンサートマスターとして演奏する傍ら、自宅でも大勢のお弟子さんをとってレッスンしていました。お弟子さんたちは誰もが驚くほど才能豊かで、それに加えて大変な努力家ばかりでした。彼らのほとんどは東京の一流音大に進学、または海外に留学。生まれた時からそんな音楽家の卵たちの厳しい生き様を目にして育った私は「本当の自信や自尊心は努力の積み重ねだけから得られる賜物である」と理解し、どんなジャンルであれ優れた人に出会う度にその人の背後にある弛まぬ努力を思い、尊敬こそすれ妬んだりしたことは一度もありません。
しかしその一方で、なんの努力もせずに虚栄心や自尊心だけが強い人に出会うこともあり、いつしか私は自分が謙虚であることを心の奥底で自慢するようになっていたのです。
「謙虚を自慢する」なんと酷い慢心であり自惚れでしょうか。愚かすぎるにもほどがあります。久々に自己嫌悪に陥りました。そんな忸怩たる思いで胸を一杯にした私は筥崎宮から楽水園に戻り、くだんの石のベンチの前でしばらくうなだれていました。
しかし、いつまで落ち込んでいても仕方ありません。気を取り直して顔を上げると、茶室棟の屋根に目が止まりました。
楽水園の茶室棟の屋根は内側から丸く膨らんでいます。
「美しいなあ」私はしばしうっとり眺めていました。
日本建築のこのような屋根を「むくり屋根」と呼びます。あまり聞き慣れない言葉ですが、漢字では「起り屋根・むくりやね」と書きます。日本建築では「反り屋根」をよく目にします。お寺やお城の屋根の多くは反っていますよね。実はあの反った屋根は大陸から伝わったものなのです。それに対して「むくり屋根」は日本独特のもので、反り返るのではなく内側に丸くなっているのです。
そしてそれは「謙虚さ」「優しさ」の表現でありその象徴と言われています。
「むくり屋根」は、もともと商人の建築で多く見られた形式でしたが、やがて貴族の邸宅にも採用されました。むくり屋根の最高峰は皇族「八条宮智仁親王 はちじょうのみや としひとしんのう」「智忠親王・としただしんのう」が親子二代で営まれた「桂離宮」の書院建築群であると言われています。
上の写真は、桂離宮「古書院」です。屋根の入母屋の二等辺三角形が緩やかに内側からむくっていますよね。雨が多い日本では「反り屋根」より「むくり屋根」のほうが水はけが良いという長所もあります。むくり屋根は数寄屋建築の茶室でもしばしば見ることができます。
また、門などでもよく目にします。下の写真は福岡県飯塚市の麻生大浦荘の薬医門です。
麻生大浦荘は春と秋に二回の公開です。近代和風建築とモダンな大正時代の日本庭園がたいへん素晴らしいので是非訪問されてみてください。
さて、日本建築の美意識の根源は神社建築であることは言うまでもありませんが、現在ではその多くが反り屋根です。しかし、伊勢神宮の「唯一神明造・ゆいいつしんめいづくり」の屋根だけは反っていません。
私はそこに「むくり屋根」と共通する美意識を強く感じます。その穏やかな屋根を見ていると優しさに包まれて胸の奥から滾々と慈愛が溢れてくるのを感じます。
「威張らず、慢心や自惚れを排し、常に謙虚に」
日本独特の屋根の形式「むくり屋根」は私達にそう教えてくれています。
これはまさに日本の美徳そのものであり日本の文化や芸道の根幹をなすものです。
楽水園の茶室棟のむくり屋根の下で仕事をしている私がその精神を大切にしなければ、先人たちの尊い教えを台無しにしてしまいますよね。どんなに時代がかわっても受け継ぐべきものは受け継がなければ。そして次の世代に伝えていかなければなりません。
60歳にしてずっこけてしまった私ですが、謙虚であることを堅持できるよう頑張る所存ですので今後ともどうぞよろしくお願いします。
追伸:
とは言え、謙虚さを維持するにはエネルギーも必要。まずは腹ごしらえ。
こういうときはボリューム満点の揚げ物が一番!と、言うわけで、今回は蒙古船の碇石が展示されている筥崎宮から、東に徒歩8分の場所にあるとんかつ屋さんの「上ロースかつランチ」の画像でお別れです。
ここはカウンター8席だけの小さな店なので、食事が終わったらとんかつの衣のようにサクッと勘定を済ませて立ち去ることができる人だけにお勧めします。いつも店の外に行列が出来ていますが、8席が一度に入れ替わったりしますので並んでいる人の数で待ち時間がそれなりに計れます。
店内は清潔で店主の心配りは隅々まで行き届き、とにかく美味しいです。
筥崎宮のお参りの際、時間にゆとりがあればお勧めします。